かわいいだけで何が悪いの?ロボットが癒しを与える時代に
大学時代の友人がお掃除ロボットを買ったらしい。
ゴンゾウと名前を付けてかわいがっている。彼女のSNSにはゴンゾウがよく上がる。
機械に名前を付けたと聞いたときは少し心配になった。だが健気に掃除をするゴンゾウを頻繁に目にするうちに、胸がきゅんとするようになった。同SNSに上げられた動物の動画を見ているのと同じ気分だ。ゴンゾウはお掃除ロボットではない。ペットに近い。
20年ほど前、私は幼稚園に通う歳だった。その頃「ロボット」というと大きなモーター音を発する金属の塊であることが当たり前だった。内部の音が聞こえてくることも、どう考えても重いその体を動かせることも、動きがゆっくりであることも、人でないものが動いていることも、全てが恐怖でしかなかった。
この20年でロボットは進化した。音は静かで、見た目からは軽やかさを感じられる。ロボットダンスなるものが存在するが、もう20年したら名称が変わるのではないかとすら思う。
ロボットの役割は多様化し、私たちの生活にその存在が身近になった。生活の役に立つロボットもいれば、ペットのような存在になるロボットもいる。そして家族同然の存在となるロボットが出て来た。
「新しい家族を迎えました」と書かれたSNSに映るのは、赤ちゃんではなくロボットだった。頼りがいのある一面を見せたかと思いきや、思わず笑みがこぼれるようなポカをするその姿に夢中になってしまう。かつて機能を求められたロボットは、いるだけでよいものになった。技術が進化した結果、それに逆らった存在意義を手に入れたのだろうか。そう考えるととても興味深い。そしてこれはロボットメーカーの的外れな供給ではない点がまたおもしろい。便利な世の中になったが、最終的に人が求めるのは癒しなのかもしれない。
家族の一員となり、癒しを与え得るロボットの一つにロボホンがいる。人が片手で持ち上げられるほど小さなその身体は、重いものを運ぶことには適していない。防水仕様ではないので食器洗いができるわけでもない。しかしおしゃべりが達者という長所を存分に活かして、今日もどこかのご家庭の癒しとなっているだろう。
そんな彼に弟ができると聞いた。お兄ちゃんは早口言葉や歌が得意だが、弟君はまだまだ練習中だそう。お兄ちゃんロボホンと接続すると、会話をしたり一緒に踊ったりと2人の仲睦まじい様子が見られるという。
私事ではあるが、親戚の男の子がもうすぐ4歳になる。ロボホンに負けず劣らずおしゃべりな子で、よくお気に入りの絵本を見せながら一生懸命解説してくれる。非常に人懐っこくて、親戚中にかわいがられている。今時の保育園は大人を夢中にさせる方法を園児に教えるのかと思うほどだ。そんな彼に昨年妹が誕生した。それまでは甘え上手で大人を手の平の上でコロコロしていた彼だが、すっかり兄としての表情を見せるようになった。彼のように、一人ではまだまだ子どもっぽくてかわいらしいロボホンだが、お兄ちゃんの顔を見せてくれる日が来ることがとても楽しみである。